モーターサイクルをもう一度

子育て、システム、人生観など思いついたことを書くブログ

とにかく元気でいればいい

我が家には、二人の娘がいる。
もうすぐ2歳になる長女と、生後5か月を迎えた次女の二人だ。
幸いなことに、二人とも身体的な問題は何もなく産まれてきてくれた。

 

二人が産まれた時、ただひたすら祈ったことは「とにかく元気でいればいい」だった。

体が大きいか小さいか、美人かどうか、他の子と比べてどうかといったことは、少なくとも産まれる段階では全く頭になかったように思う。

 

長女はもうすぐ2歳になる。
もう、産まれた時の姿とは似ても似つかない。

自分の足で立って歩き、片言ではあるが言葉でコミュニケーションができるまでになった。
髪の毛も長くなって、見た目もすっかり女の子らしくなった。

 

親というのは勝手なもので、最初は純粋に子供の健康だけを祈っていたはずが、いつの間にか標準的な成長工程や、周囲の子と比較するようになってしまう。
言葉が出てくるのが遅いんじゃないかとか、他の子にできることがうちの子にはできないとか。

 

子供に対する願望というものも、成長するにつれどんどん出てくる。
頭の良い子になってほしいとか、可愛い子に成長してほしいとか。

 

ただ、親としては当然の感情であるこういう願いは、エスカレートしたときに子供を縛り付ける。
親の思い描くように生きてほしい、立派な職業についてほしい、結婚相手はこういう人が良い。

 

 

当然、自分の子供には幸せになってほしいと願っている。
ただ、願いは度を超すと重圧になる。
もし、親の願いが子供を抑えつけて、子供が親の意に沿うように生きてしまうようなことになったら、それは不幸なことだと思う。

 

子供はその子自身の人生を生きるのであり、親の人生を生きるわけではないし、親の思うように生きなければいけないわけでもない。
どのように生きていくか、どのような人間になるか、それはすべてその子自身が決めることだ。

 

私が子供たちにしてあげられることは、子供たちの人生を選択することではない。
子供たちが、自分自身の人生をしっかり選択できるように、自主性を育て、知識を身につけさせ、周囲の人たちと正しくコミュニケーションしながら生きていく力を育てることだと思う。

 

子供たちの生きていく道に、必要以上に干渉することはしない。
子育ての目的は、親が道を指し示してあげることではなく、子供たちを自立させることである。

 

そう心に決めて、日々の子育てに取り組んでいる。

 

生きていく上で、様々な壁に当たったり、悩んだりすることは当然あるだろう。
でも、そういったことは、子供たちが自分で判断していけば良い。

 

だから、私が子供たちに願うことは、本質的にはただひとつ。
とにかく元気でいればいい。